学生時代に突然の事業承継、小型店切り盛りし16年|星山敬玉 株式会社 北星 代表取締役社長[前編]

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文・写真=田中 剛(Answers 編集長) 

星山 父の会社の本業である遊技場向け設備事業の名星工業を母が担当し、その子会社でパチンコホール運営事業の北星の実務を私が担当してきました。

星山 私が大学院1年の夏から秋頃に、父の具合が悪くなり、年が明けて「余命が半年ほど」という宣告を受けました。私は3姉妹の末っ子で、末っ子らしく自由気ままに生きていくつもりでした。父の会社のことは、全く頭になかったので、すでに結婚していた姉たちが家庭の事情で会社の経営に入れず、私が会社を引き継がなければならないという事態は、青天の霹靂(へきれき)でした。大学院2年目のときに名古屋に戻り、父の運転手兼付き人のような形で1カ月ほど同行しましたが、すぐに入院してしまったため、仕事を教わることはできませんでした。

星山 私に選択肢はなかったと思います。金融機関から「早く後継体制を作ってほしい」と急かされる中で、母の他にも家族の誰かが関わらなければならない状況になりました。父はまだ57歳で事業承継の準備は全くしていなかったので、体調を崩した後、番頭さん的な方に後任の打診をしたのですが、その方はご高齢でやはり体調を崩していたため良い返事がもらえなかったのです。

星山 私は名古屋育ちですが、成蹊大学(東京・吉祥寺)の文学部現代社会学科に進学したときから名古屋に戻ることは考えていませんでした。大学時代には、現代社会学の本拠地であるドイツのハイデルベルク大学に留学していました。大学卒業後に、もう少し研究したいと思い上智大学の大学院に進みましたが、その頃は、「修士課程が終わったらドイツに戻って永住しようかな」と考えていました。漠然と、将来は通訳や翻訳、あるいは雑誌などの活字メディアといった、語学や文化を扱う分野に進むことを想像していました。

北星の星山敬玉(ほしやま・けいぎょく)社長

星山 私はパチンコをしたこともないし、ビジネスの経験も全くありませんから、まずは「何をどこから見るべきか」を考えました。実際に遊んだり、本を読んだりして業界平均の玉単価などの指標を学びながら、自社の営業実態と突き合わせる作業を進めていきました。当時、パチンコホールは名古屋に1店舗、北海道千歳市に2店舗でした。

星山 父の存命中に2回、営業会議に同席したのですが、営業会議で現実離れした目標数値を掲げ、未達成の理由も曖昧なまま議論されていることに違和感を覚えました。そこで、現場の実態に合わせた現実的な目標数字を出してもら
い、計画を組み替えました。もうひとつ戸惑ったのは、現場と経理部門で共通の物差しがなかったことです。台粗利のような指標を使って、「台粗利をこういうふうに使っていきましょう」とか、経費であれば「遊技機1台当たりで換算すると、いくらですね」というように、共通して持つべき指標を整理し、全員が共通の物差しで会話できるように帳票類も整えていきました。すると、その過程で幹部が次々と辞めていったのです。

星山 はい。半年後にはいなくなっていました。私は、わかりにくかった部分をわかりやすく変えましたが、これは業務の透明化も含みます。それというのも、会社の引き継ぎにともなう社内監査の中で、規律が緩んでいると感じられる部分が多々あるとわかったからです。こういう業務プロセスの変更の中で、従来のやり方に固執する方もいれば、都合が悪くなった方もいたようです。

星山 当時30歳手前だった主任や班長といった役職の若手メンバーを店長に抜擢しました。営業部長的な役割は私が担うしかありません。最初はお互いに「言葉が通じないな」と感じることも多かったです。私の意図がうまく伝わらなかったり、相手の伝えたいことを私が理解できなかったり。だからこそ、すり合わせの時間をたくさん作って、「こういう意図があるから、ここを蔑ろにしてはいけない」といった対話を何度も重ねて、業務をシステム化していきました。

星山 事業を理解して、再構築するといったプロセスは大変でしたが、それは答えがありゴールが見える仕事だとわかっていました。ですから、精神的には大変だとは感じませんでした。「やった」という達成感のほうが記憶に残っています。労働時間は長かったですが、私はまだ20代で若かったから平気でした。母は大変だったろうと思います。

星山 千歳にあったパチスロ専門店は、すぐ近くに自社店舗があったこともあり2021年に閉店しましたが、他の店舗に関しては、計算したらやっていけると分かったので、新規則機への移行を理由に店舗を閉鎖する必要はないと判断できました。もちろん、資金繰り的にカツカツなタイミングもありましたが、諦める要素はほぼなかったので、大変とは言えませんね。ただ、2018年に新店(TAMAYA緑店)を出したことは、当社にとって金額的に大きな決断でした。6号機へ移行したばかりで、市場にはまだ5号機が残っている中で、パチスロは6号機オンリーでの開店でした。そのリスクや投資額の大きさから、母からは「慎重な判断を」と諭されました。しかし、私は「やれる」と押し切りました。そういえば、この新店の立ち上げ準備期間中、私は妊娠していて、オープンの2カ月前に出産したんです。ですから、2018年の出産直前・直後が、肉体的には人生で一番ハードな時期でした。

■インタビュー後編「社会学的パチンコ営業論と古き良きオールドスタイル」(10/12公開予定)に続きます。また、記事全文は雑誌『Answers』秋号に収録しています。

星山敬玉 株式会社 北星 代表取締役社長

星山敬玉 (ほしやま・けいぎょく)
大学院在学中に家業を継ぐために名古屋に戻り2010年に株式会社名星工業、株式会社北星に入社。パチンコホール事業の責任者を務める。2026年4月より北星の代表取締役社長。

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