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東京進出しM&Aで店舗を拡大首都圏で存在感増す “ジャラン”|経営者インタビュー

「ジャラン」のブランドで東京を中心にパチンコホールを展開するリベラ・ゲーミング・オペレーションズ(東京都)は、もともとは富山県の企業(当時の社名は永森商事)。最盛期には富山県内に20店舗以上を有していた。しかし同社の店舗は台数規制があった時代のもののため現在の基準で見れば小型店だった。2000年代に入ると、より大型の店舗が出店したことや、将来の人口減少によって市場が飽和すると考え、先代の永森千富壽社長は県内の店舗をスクラップしながら県外への進出を始めた。新潟県、石川県、京都府、三重県、神奈川県に出店し、次なる拠点をどこにするか模索する中で2020年、永森豊隆社長は東京と埼玉の法人をM&Aし5店舗を取得。東京へのシフトを明確化した。

翌2021年には東京・浅草の『イーグルR-1浅草店』を正栄プロジェクトから承継。以降、毎年1~2件のペースでM&Aを実施し、パチンコホールは東京、埼玉を中心に現在13店舗(8月20日時点)で、富山県内からは撤退している。近年は異業種への進出にも意欲的だ。〔文中敬称略〕 文・写真=田中剛(Answers 編集長)

永森豊隆 リベラ・ゲーミング・オペレーションズ 代表取締役社長

人口減少、競争激化…
新天地を求め東京進出

——大学卒業後は別の業界に就職されたのですよね。会社に戻ったのはいつ頃ですか。

永森 1989年に都内の大学を卒業後、日本IBMに入社しました。6年くらい経ったころ、父から「そろそろ会社に戻ることを考えてほしい」と言われました。富山県内の事業展開に行き詰まりを感じていたようです。私はいったん他のパチンコホール企業など業界の仕事を経験してから1997年に富山に戻りました。会社はすでに富山県の外に活路を求め、新潟県上越市に出店していましたし、その少し後には私の弟が首都圏への出店を始めました。やはり、背景人口が多い場所であることが重要です。その頃の私は、大阪エリアの営業形態に関心を持っていました。

——県内に20店舗以上を有していた法人が、別の土地に完全に拠点を移す例は非常に少ないと思います。東京シフトを決定づけたのは2020年ですね。

永森 金融機関からの紹介で埼玉と東京の法人を承継させていただくことになりました。現在の基準で考えれば小型~中型のサイズですが、いずれも一次商圏の人口や、近隣に大型店が出店してくる可能性が小さいことから、よいお話だと判断しました。私は富山が好きだし頻繁に帰っていますが、この時点で事業の拠点を東京にシフトしようと決心し、同年11月に商号をリベラ・ゲーミング・オペレーションズに変更し、本社を東京・新宿に移転しました。

「ジャラン浅草店」(東京都台東区)

——翌年には東京・浅草の『イーグルR-1浅草店』を承継しました。

永森 吸収分割で承継した後も屋号を変えずに営業を続け、年が明けてから休業をはさんでGWに『ジャラン浅草』(827台)としてオープンしました。この店舗は、地方創生をテーマにした商業施設『まるごとにっぽん』を核とした複合商業ビル、東京楽天地浅草ビル(2015年竣工)に入っていますが、実は、開発段階からここに出店できないかと関心を寄せていたんです。時間が経って、いい形で実現できました。

>>>記事全文は『Answers』秋号(10/1発行)をご覧ください。

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